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札幌地方裁判所 平成7年(ワ)5031号 判決

原告

松原浩一

ほか一名

被告

白井明美

ほか一名

主文

一  被告白井明美は、原告松原浩一に対し、金五二万四六九六円及びこれに対する平成五年三月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告白井明美は、原告株式会社八幡屋に対し、金一六六万四九五八円及びこれに対する平成五年三月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、原告らに生じた費用及び被告白井明美に生じた費用のそれぞれ二〇分の一を被告白井明美の負担とし、その余を原告らの負担とする。

五  この判決は、原告ら勝訴の部分について、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一原告らの請求

一  被告白井明美(被告白井)は、原告松原浩一(原告松原)に対し、金三一九三万四八六五円及びこれに対する平成五年三月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告白井は、原告株式会社八幡屋(原告八幡屋)に対し、金一九三二万五七〇九円及びこれに対する平成五年三月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告安田火災海上保険株式会社(被告安田火災)は、原告松原に対し、金八九九万円及びこれに対する平成五年三月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、信号機の設置されていない十字路交差点を通過しようとした普通乗用自動車が、一時停止の標識が設置されている交差道路を右方から直進してきた軽四輪乗用自動車の左後部に衝突した交通事故について、事故後入通院した普通乗用自動車の運転者と、この運転者が役員をしている会社が、軽四輪乗用自動車の運転者(所有者でもある)に対し、自動車損害賠償保障法(自賠法)三条に基づき損害賠償を請求するとともに、普通乗用自動車の運転者が、軽四輪乗用自動車の運転者が加入していた自動車損害賠償責任保険(自賠責保険)の保険会社に対しても、自賠法一六条一項に基づき、いわゆる被害者請求として、後遺障害による損害につき保険金額の限度で損害賠償額の支払を求めた事案である。

一  前提となる事実(証拠を掲げたもの以外は争いがない)

1  交通事故の発生(本件事故)

(一) 発生日時 平成五年三月一四日午前一一時四〇分ころ

(二) 発生場所 深川市三条一一番一一号先交差点(本件交差点)

(三) 原告車両 原告松原(昭和二九年四月五日生まれ)が運転する普通乗用自動車(旭川57ま597)

(四) 被告車両 被告白井(旧姓熊谷)が運転する軽四輪乗用自動車(旭川50あ6825)

(五) 事故態様 原告車両が本件交差点を直進して通過しようとしたところ、一時停止標識のある交差道路を右側から直進してきた被告車両が、一時停止することなく本件交差点に進入し、その左後部に原告車両の前部が衝突した。

2  原告松原の入通院状況

(一) 加藤病院(甲八、九、一一、一三~一六、一一六、一三四の1・2)

平成五年三月一七日から平成九年四月二八日まで通院(実日数八〇日)

(二) 北海道立羽幌病院整形外科(甲二八~三七、一一五、一三五の1~3)

平成五年三月二九日から平成九年四月二八日まで通院(実日数五二六日)

(三) 医療法人整形外科進藤病院(甲三八、三九)

平成五年五月一一日通院

(四) 北海道大学医学部附属病院神経内科(甲五九、六〇)

平成五年六月一七日通院

(五) 真鍋整骨院(甲四〇、四一)

平成五年七月三〇日から同年八月三一日まで通院(実日数二三日)

(六) 医療法人医仁会中村記念病院(甲四三)

平成五年一一月一九日通院

(七) 医療法人財団敬和会時計台病院(甲四五、四六)

平成六年一月一〇日から同年七月五日まで通院(実日数六日)

平成六年一月一七日から同年三月六日まで入院(四九日間)

(八) 医療法人三和会札幌南整形外科病院(甲六二~六九)

平成七年二月一三日から同月二二日まで通院(実日数八日)

3  被告らの責任原因

(一) 被告白井は、本件事故当時、被告車両を所有し、これを自己のために運行の用に供していたから、自賠法三条に基づき、原告らの損害を賠償する責任を負う。

(二) 被告安田火災は、被告白井との間で自賠責保険契約を締結していたから、自賠法一六条一項に基づき、原告松原の請求に対し、保険金額の限度において、損害賠償額を支払う義務を負う。

4  既払金

原告松原は、被告安田火災から、自賠責保険に基づき、傷害による損害についての保険金として、限度額一二〇万円の支払を受けた。

二  争点

1  過失相殺

2  原告松原の症状及び治療と本件事故との因果関係(特に症状固定時期と後遺障害の有無)

3  損害全般

第三争点に対する判断

一  過失相殺(争点1)

1  争いのない事実と証拠(甲一、六の1・2、七の1~6、一〇〇、一〇三~一一一、乙イ三~五、八の1・2、九、原告松原本人、被告白井本人)によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 事故現場である本件交差点は、旭川市方面と留萌市方面とをほぼ南北に結ぶ国道二三三号線(本件国道)と、深川市納内町方面と雨竜郡妹背牛町方面とをほぼ東西に結ぶ市道仲町通線(本件市道)とが交わる市街地の十字路交差点である。本件交差点には信号機は設置されておらず、本件市道側に一時停止標識及び停止線が設けられている。

(二) 本件国道は、両側に幅員四・四メートルないし四・五メートルの歩道があり、車道の幅員が一三メートル、片側一車線のアスファルト舖装された平たんな道路である。留萌市方面へ進行すると、本件交差点を通過した直後から若干の上り坂となっており、最高時速四〇キロメートルの速度規制がされていた。本件市道は、車道の幅員が八・一メートル、片側一車線のアスファルト舖装された道路である。妹背牛町方面へ進行すると、本件交差点の手前で若干の上り坂となっており、その左側には幅員〇・六メートルの歩道がある。

いずれの道路も前方の見通しは良好であったが、本件交差点の角には二階建てないし三階建ての建物が存在していたため、左右の見通しは良くなかった。本件市道上の停止線の位置から本件交差点側へ二・五メートルほど進行すると、左方は約五〇メートル見通すことができた。本件事故当時の天候に雪、路面は圧雪アイスバーンの状態であった。

(三) 原告松原は、平成五年三月一四日午前一一時四〇分ころ、佐伯康弘を同乗させて原告車両を運転し、本件国道を留萌市方面(北方向)に向かって時速約三〇キロメートルの速度で走行していた。

被告白井は、そのころ被告車両を運転し、本件市道を妹背牛町方面(西方向)に向かって時速約三〇キロメートルの速度で走行し、本件交差点付近に至った。被告白井は、本件交差点手前の一時停止標識に従い、停止線付近では時速約一〇キロメートルまで減速したが、そのまま停止することなく、交差する本件国道の右側(留萌市方面)を、次に左側(旭川市方面)を見た。その際、本件国道を走行する車両が視界に入らなかったので、被告白井は、被告車両を加速させながら本件交差点に進入し、急いで本件国道を横断しようとした。

原告松原は、本件交差点の手前約二八メートルの地点で、本件交差点を右から左へ直進してくる被告車両を認めた。原告松原は、路面がアイスバーン状態であったことから車体がスピンするのを避けるため、七〇パーセントほどの感覚でブレーキを踏んだが間に合わず、停止寸前の速度で原告車両の前部が被告車両の左後部に衝突した。

(四) 原告車両は、衝突後、約三・四メートル進行した本件交差点中央付近で、前部を進行方向のやや左に向けて停止した。被告車両は、後部を右側に振りながら本件交差点を通過し、本件市道の対向車線上で一時停止の標識に従って停止していた藤井等運転の普通貨物自動車の右前部に被告車両の後部を衝突させて、原告車両との衝突地点から約一〇メートル進行した地点で、進行車線をふさぐような形で前部を南方向に向けて停止した。

原告車両は、前部のバンパーとボンネットの中央部分に凹損が生じ、被告車両は、左後部の角付近に凹損が生じた。被告白井は、衝突の瞬間まで原告車両に気づいていなかった。

2  この認定事実によれば、被告白井には、本件交差点に進入するに当たり、一時停止標識に従って一時停止をしたうえ、左右の安全を確認し、交差する本件国道を通行する車両の進路を妨害しないように進行すべき注意義務があった。ところが、被告白井は、一時停止をせず、本件国道を通行する車両の有無について十分に確認をすることなく本件交差点に進入したのであるから、この点に過失がある。

他方、原告松原には、本件交差点は信号機による交通整理が行われておらず、左右の見通しが悪いうえ、路面は圧雪アイスバーンで急に停止することが困難な状態にあったのであるから、本件交差点に差し掛かるに当たり、交差する本件市道の交通にも注意して進行すべき注意義務があった。ところが、原告松原は、本件交差点の手前約二八メートルの地点になって被告車両を認め、適切な減速措置やハンドル操作をすることなく進行して被告車両への衝突を回避することができなかったのであるから、この点に過失がある。

この過失の内容、本件事故の態様などの事情を総合すると、本件事故に寄与した原告松原の過失割合は二割とするのが相当である。

3  原告松原は、被告車両を発見し直ちにブレーキペダルを踏んだが、路面が圧雪アイスバーン状態で完全な急制動は危険を伴い困難であったので、前方を注視して七〇パーセント程度ブレーキを踏んだうえ、衝突直前にハンドルを右に切ったにもかかわらず、衝突が避けられなかったものであり、原告松原が衝突を回避することは不可能であったから、過失はないと主張する。原告松原本人はこれに沿う供述をし、保険会社に提出した原告松原作成の事故発生状況報告書にも、同趣旨の記載がある(甲一)。

衝突後の原告車両の停止位置や、原告車両と被告車両の損傷程度からすると、衝突直前の原告車両はかなり減速されていたと考えられ、七〇パーセント程度ブレーキをかけて減速したとの原告松原本人の供述は信用することができる。しかし、本件事故後に原告松原の立会いにより実施された実況見分においては、原告車両は直進したまま衝突したように説明されていることや(乙イ四)、車両の損傷部分からは、原告車両の前部中央が被告車両の左後部の角に衝突したものと推測されることを考慮すると、原告松原が衝突直前に右にハンドルを切ったかどうか疑問がないわけではなく、仮に右にハンドルを切ったとしても、衝突寸前で原告車両の進行方向を変えるほどの時間がなかったものと判断するのが合理的である。

本件事故は、原告車両があとほんのわずか減速し、あるいは、あとほんのわずか進行方向を右に向けることによって、回避することができたものである。交差点の見通し状況や路面の状態を考慮し、本件市道の交通にも早期に目を配って早期に被告車両を発見し、あるいは、スピンを招かない限度で強くブレーキペダルを踏み、素早く右ヘハンドルを切るなど、衝突を回避する方法は決して考えられなくはないから、原告松原に過失がないということはできない。

二  原告松原の症状及び治療と本件事故との因果関係(争点2)

1  証拠(甲八~五三、五九~六一、一一三の1~7、一一四~一一六、一三一、一三二、一三四の1・2、一三五の1~3、一三七の1~6、乙イ三、六、七、乙ロ一、二の1~7、三の2~15、四の1~5、五の3~14、六の7・8、七の1~51、八の1~9・24~43、九の1~10、一〇~四四、証人小林徹也、加藤隆一、原告松原本人、被告白井本人)によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 原告松原は、本件事故直後には、身体に特に痛みなどの症状はなく、当日の午前一一時四五分から午後零時までの間、警察官により実施された実況見分にも立ち会った。被告白井は、本件事故で負傷せず、病院へ行くこともなかった。原告車両に同乗していた佐伯康弘も負傷しなかったので、本件事故は、当初、物損事故として警察へ届出がされた。

(二) 原告松原は、本件事故から二日後の平成五年三月一六日の昼過ぎころから吐き気がするようになり、翌一七日、左上腕の脱力を訴えて、従前から内科の疾患の際に通院していた加藤病院で診察を受けた。加藤病院では、主として脳に異常がないかどうかについて診察と検査がされたが、眼球の運動制限や眼振はなく、深部腱反射も正常であった。頸椎のX線撮影がされ、また、血圧測定もされたが、これまで高血圧症状を発症したことはなかったのに、この日は最低一〇六、最高一六二と血圧が高く、筋弛緩剤、鎮痛剤のほか、降圧剤も投与された。翌一八日の診察では、左握力の低下が認められ、血圧は最低が一〇二、最高が一六四と依然高かった。X線撮影では、第六・第七頸椎に骨棘が認められ、その椎間が狭小化していたが、脊髄の圧迫は認められず、神経学的な異常はなかった。同月二二日には羽幌病院に委託して頭部のCT検査が行われたが、異常は認められなかった。

診察をした加藤隆一医師は、X線に写らない軟部組織がどのようになっているかは分からないが、このような頸椎の変化は加齢によるものであると考え、頸椎症との診断をした。原告松原は、左上腕部の脱力感が消失しないので、加藤病院に三日通院した後、整形外科へ転院した。

(三) 原告松原は、平成五年三月二九日、後頭部が重い、握力が低下する、背側や前腕がしびれるなどの症状を訴え、羽幌病院整形外科に転院して診察を受けた。羽幌病院では、スパーリングテストとジャクソンテスト(首を後ろに倒したり斜めに押し付けたりして頸髄から手にいく神経の通り道を狭くし、神経根に沿って放散痛が生じるかどうかによって神経の障害の有無を判断する検査)が実施されたが、スパーリングテストは陰性であり、ジヤクソンテストでも神経根に沿った放散痛はなく、左手に圧迫感が生じただけであった。深部腱反射も正常であったが、左手の知覚低下が認められ、握力が右が四九キログラムに対し、左が一八キログラムであった。原告松原は、頸椎捻挫、頸椎骨軟骨症(変形性頸椎症と同じ疾患)の診断を受け、投薬のほかに、頸椎牽引、ホットパックなどの理学療法による治療を受けるようになった。

原告松原は、同年四月からは、平均すると二日に一回の割合で羽幌病院に通院した。同月一三日には、ジャクソンテストとスパーリングテストがいずれも陰性で、握力も右が五〇キログラム、左が三六キログラムと改善傾向を示し、同年七月一三日には、左手指のしびれはほぼ消失した。同年八月三一日の診察でも、ジャクソンテストとスパーリングテストはいずれも陰性で、握力は右が五〇キログラム、左が三七キログラムと、かなり改善した。

(四) 原告松原は、この間、平成五年五月一一日に、首の痛みと左手のしびれを訴えて旭川市の進藤病院でも診察を受け、頸椎捻挫、左手知覚障害と診断された。同年六月七日には、左偏頭痛が出現したとして羽幌病院内科でも診察を受け、大病院での診察を希望して北大病院神経内科の紹介を受けた。原告松原は、同月一七日、札幌市の北大病院神経内科で診察を受け、左後頸部から左半身のだるさを訴えたが、診察した医師は、羽幌病院内科の医師に対し、原告松原には神経学的に陽性所見はまったくなく、本人の訴える症状はかなり心因性の要素が強いと思われ、事故の補償でもめると悪化することが多いので、早めに示談を進めるのが得策であるとの回答を示した。原告松原は、同月一九日からは、頭痛を訴えて再び加藤病院に通院するようになったが、血圧は最低が一〇八、最高が一七四で依然として高く、加藤医師は、高血圧症との診断をした。原告松原は、また、同年七月三〇日から同年八月三一日までの間に二三日、真鍋整骨院にも通院して施術を受けた。

原告松原は、羽幌病院整形外科への通院と並行してこれらの診療、施術を受けていたが、羽幌病院整形外科では、同年八月三一日、原告松原の症状がかなり改善されたので、診察をしていた伊林克也医師は、そろそろ改善も頭打ちであり、原告松原の意思で治療を中止してもよいとの判断をした。そして、伊林医師は、同年一〇月八日、原告松原には自覚症状として後頭部から項部の重苦感、左上肢のしびれ、握力低下があり、他覚症状として左第七頸椎領域の痛覚鈍麻があるが、握力は右が四八キログラム、左が三五キログラムで、症状が固定したとの診断をした。

(五) 原告松原は、その後も羽幌病院に通院し、整形外科ではリハビリ中心の治療を受けた。

原告松原は、羽幌病院内科の医師に対し、頭痛などは交通事故の影響ではないかと訴えてMRIによる精密検査を希望し、平成五年一一月一九日、紹介された札幌市の中村記念病院脳神経外科で診察を受けた。検査の結果、頭部CT上は異常がなく、頸椎MRIによると、第五・第六頸椎と第六・第七頸椎の各椎間板の突出が認められたが、脊髄を圧迫している所見はなく、軽度の変形性頸椎症で治療の必要はないとの診断がされた。

(六) 原告松原は、平成六年一月一〇日、しつかり診察や検査を受けたいと考えて札幌市の時計台病院で診察を受け、同月一七日から入院して診察、検査を受けた。その結果、神経学的には左顔面から側頭部にかけての触覚鈍麻があるものの、その部位の痛覚、冷覚には問題がなく、左半身のしびれも認められず、CT上も異常はなかった。ただ、左後頸部から側頭部にかけて筋肉が張っていて圧痛が認められるので、症状はこの筋緊張からくるものではないかとの診断がされた。

(七) 原告松原は、平成六年三月六日、時計台病院を退院し、再び羽幌病院整形外科に通院してリハビリ中心の治療を受けるようになり、同年四月からは、加藤病院にも一か月に二回ほど通院して高血圧症の治療を受けるようになった。血圧は、時に最低が一〇〇程度、最高が一七〇程度になったことがあるが、おおむね最低が九〇前後、最高が一四〇から一五〇程度と落ち着いてきた。

そして、同年七月二八日、羽幌病院整形外科の小林徹也医師は、中村記念病院や時計台病院での検査結果も考慮のうえ、原告松原の自覚症状として、後頭部から左肩が凝るような感じで、首が動かしづらい、全身が疲れやすい、左手脱力感、左肩が動かしづらいなどの症状が残存し、他覚症状及び検査結果として、左人差指の親指側に一、二割の知覚低下、左手関節の背屈筋力と左握力の若干の低下、X線で第六・第七頸椎の椎間狭小化と骨棘形成、MRIで第五・第六頸椎の軽度の椎間板膨隆、第六・第七頸椎の椎間板変性と突出が認められ、CTでも第六・第七頸椎の突出椎間板と神経根との関係は不明瞭であるとして、症状が固定したとの診断をした。

(八) 原告松原は、その後も、加藤病院と羽幌病院に通院し、加藤病院では降圧剤の投与を受け、羽幌病院では首の牽引とホットパック療法を受けている。この間、平成七年二月一三日には、札幌南整形外科病院で診察を受け、陳旧性頸部腰部捻挫との診断を受けたが、神経学的には著明な異常所見は認められなかった。

(九) 頸椎症、頸椎骨軟骨症、変形性頸椎症は、いずれも椎間板の退行変性に基づき、中年以降に好発する疾患である。頸椎椎間板ヘルニアは、椎間板の退行変性を基盤として、椎間板の線維輪の断裂部から髄核が後方ないし後側方へ脱出し、神経組織(脊髄あるいは神経根)を圧迫、刺激する疾病で、三〇歳から五〇歳の男性に多く、そのほとんどが第五・第六頸椎、第六・第七頸椎、第四・第五頸椎の高位に好発する疾患である。これらの疾患は急に発症する場合もあり、急性発症の引き金としては追突事故などによる外傷があるが、相当大きな交通事故でないと、正常だった椎間板が事故による外力で後方に突出することはないと医学的には考えられており、事故によって椎間板の後方突出が生じた場合には、事故後、明らかな神経症状や痛みが続くことが多い。

(一〇) 高血圧は、遺伝的背景因子をもって発症する本態性高血圧と、他に原因疾患があって二次的に発症する二次性高血圧とに分類される。本態性高血圧は、慢性的ストレスが加わることで発症することがあり、交通事故が発症を誘発することもある。腹痛や頭痛、腕の脱力感といったものでもストレスとなりうる。交通事故による傷害のような外傷が加わったとき、血圧は、外傷直後のストレスの高いときに高くなり、ストレスが落ち着くにつれて一般的には降下する。

2  この認定事実によれば、原告松原は、本件事故後、これまでになかった高血圧症状と、おおむね左後頸部から左上肢にかけてのしびれなどの症状を訴えており、その内容は比較的一貫しているが、他覚的神経学的所見は認められない。頸椎の変性所見は複数の椎間に認められるが、いずれも加齢によるものと考えられ、脊髄の圧迫所見もない。本件事故は原告松原が衝突の瞬間を認識している態様で発生したものであることや、原告車両と被告車両の損傷状況も凹損程度のものであったことから考えると、原告松原が本件事故により受けた衝撃は、それほど大きなものではなかったと推認される。これらの事情と、高血圧症が外傷を契機としたストレスによっても発症することがあることを総合すれば、本件事故により原告松原に生じた傷害は、神経根症状に至らない程度の軽度の頸椎捻挫と、それに起因する症状からのストレスによる高血圧症であったということができる。

そして、高血圧症以外の症状は本件事故から一か月ほどで改善傾向を示し、診察に当たっていた医師は、事故から五か月ほど経過したころには改善が頭打ちであると判断し、事故後七か月弱が経過した平成五年一〇月八日には症状固定の診断をしている。血圧は、外傷直後からストレスが落ち着くに従って降下するのが一般的であることを併せて考えると、原告松原が本件事故により受けた傷害は、遅くとも、この症状固定の診断がされたころには治癒しうるものであったということができる。

3  ところが、原告松原は、その後も症状が改善されないとして中村記念病院や時計台病院に入通院して診察、検査を受け、羽幌病院において、平成六年七月二八日に再び症状固定の診断を受けたが、さらに、羽幌病院や加藤病院への通院を継続している。

しかし、ここでの検査の結果によっても、やはり神経学的所見はなく、原告松原は、本件事故から三か月を経過した平成五年六月一七日の時点で、既に北大病院から、その症状には心因性の要素が強いことを理由に早めの示談を勧められていた。原告松原の高血圧症は、遺伝的背景因子をもって発症する本態性高血圧であると考えられることなども総合すると、原告松原の症状については、他覚的所見が認められないことや本件事故による損害賠償の問題が未解決であることなどに対する不満、焦燥などが合わさって、心因的あるいは気質的要因により症状が残存し、治療が長期化したと認めるのが相当である(なお、高血圧症については、左後頸部から左上肢にかけての症状が残存することによるストレスのみならず、本来有する遺伝的素因が次第に顕在化してきた可能性も考えられる)。

4  原告松原は、いったんは症状固定と診断されたが、その後、中村記念病院と時計台病院でより詳細な診察や検査を受け、その検査結果を踏まえて、平成六年七月二八日、羽幌病院で再度症状固定の診断が出されたという経過を考慮すると、その時点までの症状と治療については、本件事故との相当因果関係を認めるのが相当である。

とはいえ、本来予想される治療期間が原告松原の心因的、気質的要因により長期化したのであるから、損害の公平な負担の見地からは、民法七二二条を類推適用して、症状固定時までの症状や治療に関する損害の二割を減額するのが相当である。

三  損害(争点3)

1  原告松原の損害

(一) 治療費(請求額四五万八一〇四円) 三八万九四九八円

原告松原は、平成六年七月二八日の症状固定時までに、時計台病院に四九日間入院したほか、加藤病院に一二日、羽幌病院に一七二日、時計台病院に六日、進藤病院、北大病院及び中村記念病院に各一日通院し、次のとおり治療費(文書料を含む)を負担した。

(1) 加藤病院(甲一二~一四) 二万一五五九円

平成六年四月一二日から同年七月二八日までの実通院日数七日分の治療費については、同年四月一二日から同年一一月二一日まで実通院日数一六日分の治療費が七九三〇円であることを前提に、そのうちの七日分として算出した。

(2) 羽幌病院(甲二八~三四) 二二万六二八四円

平成五年九月一日から平成六年七月二八日までの実通院日数八五日分の治療費については、平成五年九月一日から平成六年一一月三〇日まで実通院日数一四四日分の治療費が六万六五二六円であることを前提に、そのうちの八五日分として算出した。

(3) 進藤病院(甲三九) 三万一二八〇円

(4) 北大病院(甲六〇) 七一五五円

(5) 中村記念病院(甲四三) 九五三〇円

(6) 時計台病院(甲四六) 九万三六九〇円

(7) なお、原告松原は、症状固定時までに、本件事故による頸部捻挫の治療として、平成五年七月三〇日から同年八月三一日までの間に真鍋整骨院に二三日通院し、治療費六万八〇〇〇円を負担したが(乙ロ六の7・8)、これが医師の指示に基づくものであると認めるに足りる証拠はない。原告松原は、同年八月二五日から同年九月一六日までの間にも真鍋整骨院に通院しているが、これは、自宅で階段を登った際に生じた左下腿部挫傷などの治療のためである(乙ロ六の5)。いずれの治療も、本件事故との相当因果関係は認められない。

(二) 薬品代(請求額五〇八〇円) 五〇八〇円

原告松原は、平成六年三月一八日から同年七月二五日までに、薬品代として五〇八〇円を支払った(甲七〇~七九)。

(三) 入院雑費(請求額九万八〇〇〇円) 六万八六〇〇円

原告松原は、時計台病院に四九日間入院したので、入院雑費としては、一日当たり一四〇〇円の四九日分で、六万八六〇〇円を相当と認める。

(四) 交通費(請求額一〇万六六六〇円) 一〇万六六六〇円

原告松原は、羽幌病院へ通院する際、バス代として少なくとも一往復当たり二八〇円、一七二日で合計四万八一六〇円を支払い、北大病院、中村記念病院及び時計台病院へ入通院する際、バス代として少なくとも一往復当たり六五〇〇円、時計台病院の入退院時の一往復を含め九往復で合計五万八五〇〇円を支払った(甲九五、原告松原本人)。

(五) 印鑑登録証明書交付手数料(四〇〇円) 〇円

原告松原は、本件事故について自賠責保険から損害賠償額一二〇万円の支払を受けているが、そのために印鑑登録証明書の交付を受けたと認めるに足りる証拠はない。

(六) 逸失利益(請求額一九四七万四六四〇円) 〇円

前記のとおり、原告松原には、症状固定時、自覚症状として、後頭部から左肩が凝るような感じで、首が動かしづらい、全身が疲れやすい、左手脱力感、左肩が動かしづらいなどの症状が残存し、他覚症状として、左人差指の親指側に一、二割の知覚低下、左手関節の背屈筋力と左握力の若干の低下が残存している。

しかし、その他覚的な原因は明らかでなく、症状の内容や経過、本来予想される治療期間、本件事故から経過した期間、診断した医師の意見などを総合すると、これらの症状は、症状固定時においては、もっぱら心因的、気質的な要因に基づいて残存したと判断するのが相当である。したがって、原告松原のこれらの症状は、本件事故による後遺障害ということはできず、その症状に基づく逸失利益は認められない。

(七) 症状固定後の治療費及び交通費(請求額七〇万一九八一円) 〇円

症状固定後の治療は、固定した後遺障害の症状を維持するために不可欠であるものに限り、事故との相当因果関係が認められる。

本件全証拠によっても、原告松原が主張する症状固定後の治療が固定した症状を維持するために不可欠なものかどうかは明らかでないが、仮に不可欠であったとしても、固定した症状は本件事故の後遺障害とはいえないのであるから、これを維持するための治療は、本件事故との間に相当因果関係を認めることはできない。

(八) 慰謝料(請求額一〇二九万円) 二〇〇万円

本件事故の態様、原告松原の受傷の部位と程度、治療期間などを総合すると、慰謝料としては二〇〇万円が相当と認める。

(九) 寄与度減額、過失相殺、損害のてん補

原告松原の以上の損害合計額は二五六万九八三八円であるから、ここから、原告松原の心因的、気質的要因が治療の長期化に寄与した割合として二割を減じ、さらに、本件事故における原告松原の過失割合である二割を減ずると、寄与度減額及び過失相殺後の金額は一六四万四六九六円となる。

この金額から、原告松原が自賠責保険から支払を受けた損害賠償額一二〇万円を控除すると、損害額の残金は四四万四六九六円となる。

(一〇) 弁護士費用(請求額二〇〇万円) 八万円

本件における審理の経過、認容額などの事情に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては八万円が相当と認める。

2  原告八幡屋の損害

(一) 給与支払分(請求額五〇一万八四〇一円) 一五一万四九五八円

原告八幡屋は衣料品の会社で、本件事故当時、五、六人の役員のほかに二十七、八人の従業員がいた。原告松原は、原告八幡屋の専務取締役であり(本件事故後に常務取締役になった)、スポーツ店の店長であったが、役員としての経営的な仕事に携わるのは一か月に一日あるかないかといった程度であり、ほとんど従業員と同じ業務に就いていた。原告松原は、本件事故当時、給与として月額五〇万円を支給されており、症状固定時までに、時計台病院に入院した四九日間と、同病院、進藤病院、北大病院及び中村記念病院に通院した九日は全日、羽幌病院に通院した一七二日は半日、それぞれ就業することができなかったが、原告八幡屋から、給与として平成五年三月は月額五〇万円、同年四月から一二月までは月額五一万五〇〇〇円、平成六年になってからは月額五三万四五〇〇円の全額の支払を受けた(甲一二七、一二八、原告松原本人)。

このような原告八幡屋の規模、原告松原の業務内容、その支給金額などの事情を総合すると、原告松原が原告八幡屋から支払われていた金員は、すべて労務の対価として支給を受けていたものと認めることができるから、本件事故当時の年額六〇〇万円(月額五〇万円)を基礎収入として原告松原の休業損害を算出すると、一四四日分で二三六万七一二三円となる。この損害について、原告松原の心因的、気質的要因が治療の長期化に寄与した割合として二割を減じ、さらに、本件事故における原告松原の過失割合である二割を減ずると、その後の金額は一五一万四九五八円となる。

原告八幡屋は、原告松原が本件事故前と同様な生活を維持できるように、原告松原から労務の提供を受けることなく給与を支給したものと理解されるから、この支出は、原告松原に休業損害が認められる限度で、本件事故と相当因果関係があると認めることができる。

(二) 原告松原の労働能力の制限あるいは喪失による損害(請求額一三三〇万七三〇八円) 〇円

会社と従業員との関係は、会社が従業員から労務の提供を受ける代わりに賃金を支払うという雇用関係に尽きるから、従業員が交通事故により労務の提供ができなくなったことにより、会社がその従業員の労務により得られるべき企業収益を得られなかったとしても、その従業員が企業主体と同視されるような特別の関係又は経済的一体性がある場合を除き、それを交通事故と相当因果関係のある損害と認めることはできない。

原告松原の労働能力の制限あるいは喪失により、原告八幡屋にどのような減収が生じるのかは明らかでないし、(一)の認定事実によれば、原告松原が原告八幡屋と同視されるような特別の関係又は経済的一体性があるとは認められない。したがって、原告八幡屋に、原告松原の労働能力の制限あるいは喪失による損害を認めることはできない。

(三) 弁護士費用(請求額一〇〇万円) 一五万円

本件における審理の経過、認容額などの事情に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては一五万円が相当と認める。

第四結論

一  以上によれば、原告松原の被告白井に対する請求は、不法行為による損害金として五二万四六九六円と、これに対する平成五年三月一四日(不法行為の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

二  原告八幡屋の請求は、不法行為による損害金一六六万四九五八円と、これに対する平成五年三月一四日(不法行為の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

三  原告松原の被告安田火災に対する請求は、後遺障害による損害を認めることができないから、理由がない。

(裁判官 片山良廣 山崎秀尚 金谷稔美)

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